■■北海道、東北で出会いを探してみる
北海道の出会い|北海道の人は、土地が広いこともあって、おしなべておおらかで大ざっぱな性格のようです。また、他の地域のような保守性(見栄を張ったり、家柄や格式などにこだわる)がありませんので、何事にも合理的です。札幌あたりでは冠婚葬祭も比較的簡素でお金をかけません。結婚披露宴はほぼ会費制ですし、葬儀も午前中に行うことが多いようです。また、ゴルフも休憩なしで回って午後から仕事をします。リサイクルショップの店数が人口あたり日本一多いのも、北海道の合理的な気質からうなずける話なのです。
北海道の男性には、フロンティア・スピリッツ(開拓精神)のイメージがありますが、実際は大人しいというか、ほわあっとした感じの人が多く、逆に女性は行動力のある男っぽい人が多いようです。これは開拓時代から男性と対等に働いてきた歴史があるためのようです。
しい地域であるだけに、真面目で辛抱強い性格で、さらに口数の少ない人が多いようです。ただ、港町で東京などへ出稼ぎが多かった歴史から、意外に新しいもの好きな傾向があります。また、人間関係もわりとドライな一面があり、照れ屋で口下手のために悩みを内にため込んでしまう傾向にあります。
男性は、穏和で誠実な努力家ですが「じょっぱり(強情で意地っ張り)」。人はいいですが、やや頑固なところがあります。女性は母親から受け継いだ、けなげな性格の人が多いようです。これは、子供の頃から母の頑張りを見て育ったために自然と備わったキャラクターでしょう。
青森県西部は津軽藩、勤王派、日本海側気候、米とリンゴの農業、西回り海運で上方とのつながりがあった地域。青森県東部は南部藩、佐幕派、太平洋側気候、漁業と工業、東回り海運で江戸とのつながりがあった地域で、方言も気質も異なります。
岩手の人は、岩手の出会い|夏は短く冬が長く、冷害や津波など厳しい自然条件にもまれ、粘り強くてたくましく、辛抱強くてどんな苦境でも耐え忍ぶ気質の人が多いようです。また、豪雪地帯も多く、昔から家の中で読書にふけったり、絵を描いたりする人が多いところです。そうした背景から、宮沢賢治や石川啄木のような作家や歌人、またたくさんの芸術家を輩出しています。
岩手というと、慌ただしい「わんこそば」のイメージがありますが、実際は、何事にも慎重で動作もゆっくりとした人が多いのが特徴です。真面目で几帳面なため、考えすぎる傾向があり、少々決断力に欠けることもあります。普段は寡黙なのですが、酔って心のたががゆるむと、突如ひょうきんになったりする人もいるようです。
南部藩だった内陸北部と伊達藩だった内陸南部、それに海沿いの沿岸部では気質が異なります。
昔「秋田の着倒れ、食い倒れ」という言葉がありました。秋田の出会いこれは秋田の人は「贅沢」、つまり消費性向が高いということを表す言葉ですが、「着倒れ」といえば京都、「食い倒れ」といえば大阪ですから、いかに秋田が関西とのつながりが強かったかを表しています。事実、米や秋田杉などを西回り海運で上方に売ってきた歴史があります。
秋田の人は、東北のなかでも初対面を気にする人が少なく開放的な性格です。遊び好きで好奇心が強く流行に敏感で、東北でミニスカートが最初に流行ったのは秋田という説があるぐらい! 現在でも、1世帯当りのBS(衛星放送)受信装置保有数が国内上位で、新しいもの好きの傾向がわかる結果となっています。また、保守的な土地柄でもあるため、冠婚葬祭は派手なほうです。
秋田の男性は、お米に恵まれてきたため、のんきでマイホーム型のロマンティストが多く見受けられます。また、お酒好きも多く、貯蓄は苦手のようです。秋田の女性は「秋田美人」「角館美人」という言葉がある通り、色白の美人が多いことでも有名ですが、実際に、脚の長いスレンダータイプが多いようです。男性も背の高いイメケンを多く輩出しています。
東北の人というと、宮城の出会い|厳しい気候に耐えてきた「粘り強い性格の人」というイメージが一般的にありますが、宮城の人はちょっと違います。宮城は気候も東北のなかでは比較的温暖で、仙台平野はササニシキで有名な東北きっての米どころ。加えて、世界三大漁場といわれる金華山沖の漁場もあります。このような地域のためか、農民一揆が頻発していた時代、宮城県での農民一揆の件数は他県と比べて、少なかったようです。つまり、気候は温暖で土地が豊かだったため、のんびりした人が多いのです(仙台市は他の地域に比べのんびり度は低めですが)。大都市仙台をかかえているわりに、保守的で消極的な人が多いのは、恵まれた土地柄のためといえるでしょう。
いかにも東北人らしいのが山形の人。山形の出会い|山形県は、北は鳥海山、東は奥羽山脈、南に朝日、飯豊山地に囲まれており、内陸の盆地で、豪雪や夏の冷害にたびたび襲われてきました。厳しい自然環境のためか、内向的で口数が少なく、初めての人に会うのも気が重いタイプで、ひたむきな人が多いのが特徴です。しかし、庄内地方と呼ばれる日本海側に関しては、積雪量が少なく、庄内平野は昔からの有数の米作地帯であるためか、社交的で人づきあいにもソツがありません。さらに山形は、江戸時代には「米沢・鶴岡(庄内)・新庄・山形」などの小藩分立でした。同じ庄内でも酒田は港町、鶴岡は城下町として栄えたところで、気質も、港町の酒田、城下町の影響が残る米沢・鶴岡と、それ以外の地域により異なります。
現在の福島県にあたる地域は、福島の出会い明治の廃藩置県で、最初8県がありましたが、その後、二本松藩などがあった県中部が「旧福島県(中通り)」、会津藩領が「若松県(会津)」、相馬藩などがあった沿岸部が「平県(浜通り)」になります。この3県が今の福島県になるのですが、面積が広く山脈で分断され、気候も産業も異なるため、今でも中通り、会津、浜通りの3つの地域に分けられます。
中通りは昔から奥州のメインルート沿いにあたり、人の行き来が盛んだったため柔軟な考え方の人が多く、会津は冬の積雪が多く夏は高温の盆地気候で、特に会津藩の影響が残っていて保守的です。浜通りは、夏は涼しく冬は比較的暖かく、港町が多いため、開放的でさっぱり気質の人が多いところです。
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