■■九州、沖縄で見つける出会い

福岡は昔から、福岡の出会い派手好き、酒好き、祭り好きといわれたところ。今でも、それが続いていて、酒、祭り、おしゃべり好きで目立つ人が多く、全国有数の芸能人輩出県でもあります。古くから人の出入りが多かったため、人当たりがいいのが特徴です。また、個人主義的な傾向が強く、明るくて楽天的で、好奇心旺盛で新しいものが好き。半面、おおざっぱで、お金にルーズ、持続力に欠けるなど、いい加減な一面もあります。ただし、福岡は地域により気質が異なります。 北九州市は「住民はいるが市民はいない」といわれるほど県外出身者が多く、意外と保守的。お金にもシビアです。筑豊は「川筋気質」で人情にもろく、弱きを助け強きをくじく任侠気質です。筑後はコツコツ働いてよく貯めるといわれています。 ここでは、筑前(福岡市、北九州市[八幡西・東区]、飯塚など)、豊前(北九州市[小倉北・南区、門司区]、行橋など)、筑後(久留米・大牟田など)の三つの地域に分けました。 大分の人は昔、大分の出会い「赤猫根性」といわれていました。これは、ケチで協調性がないという意味で、自分の考え方が正しいと信じて、少々独りよがりである性格を表している言葉でした。また、郷土意識が希薄ともいわれていましたが、これは小藩がいくつもあったのと、瀬戸内や関西から人が入って来ていたためなのです。 現在の大分の人は、人見知りが激しくテレ屋で不器用、話し下手だから誤解されやすいところがありますが、郷土愛も強くなり、実直で道徳的な考え方をもつ人が多くなったように見受けられます。女性は何事も堅実です。 宮崎弁に宮崎の出会い「よだきい」という言葉があります(もともとは延岡の発祥の言葉で、現在はほぼ県内全域で使われており、大分でも使われています)。これは「面倒くさい」「だるい」「おっくうだ」という意味の言葉です。また、「のさん」という言葉もあり、これは、「辛い」「きつい」という意味の言葉です。これらの言葉はまさに宮崎男性の気質を表す言葉として使われることがあります。宮崎の男性は、人はいいのですが、競争や争いを好まないので、主体性や積極性が薄く働きぶりも、いまひとつ。また、有名人の輩出は少ないです。これは、土地が豊かで気候が温暖だから、セコセコする必要がなかったためです。ただし、都城、小林など内陸部の男性は積極的で行動力があり、個性的で迫力のある人が多いようです。 一方女性は、情熱的で優しく、働き者の美人が多いようです。全県的には、相変わらず焼酎をよく飲みます。 熊本は、熊本の出会い昔から「肥後モッコス」といわれています。この「肥後モッコス」とは、頑固で、融通がきかないという意味です。熊本の男性は、竹を割ったような「九州男児」のイメージそのもの。強情で、やや感情的になりやすい一面があります。また、「肥後の議論倒れ」ともいわれ、競争心が強く、「俺が、俺が」で、議論のための議論になってしまうという意味で使われます。メンツにこだわる人も多いようです。 熊本が保守的な気質になったのは、土地が豊か(細川54万石といわれていましたが、実際は74万石)で、新しいものを取り入れる必要がなかったため。郷土意識も極めて強いようです。八代(やつしろ)は小さなことにこだわらないゆったりしたタイプで、人吉は「イヒュウモン(かどがあって、つきあいにくい)」タイプが多いようです。女性は、かつては忍耐強い人が多かったようですが、近年は自立志向の女性が多数派に 佐賀が、昔、佐賀の出会い|「イヒュウモン(かどがあって、つきあいにくい)」といわれたのは、「葉隠(武士道)」のイメージの影響です。また「佐賀人が通った後は草も生えない」ともいわれたのは、鍋島藩が陶器や白蝋で巨利を得たため、上方の商人が「経済大名」と呼んだことに由来します。今日では、お金に関する執着心は昔ほどではありませんが、「生活を切りつめてでもお金を残したい」と思っている人が全国の中でも多い県で、勤倹貯蓄型の堅実ぶりは相変わらずのようです。保守的で地味で流行には疎いですが、粘り強く努力を積み重ねるタイプが多いのが特徴です。 ただし、北部の唐津や東部の鳥栖の人は明るく、新しいものにも関心があり、南部とは異なる気質。そのため、ここでは、南部と北部東部に分けました。 長崎は、長崎の出会い|古くから外来文化の入り口として栄え、江戸時代は、鎖国政策の中でただ一か所だけ世界への窓口として開かれていました。三方を海に囲まれているうえ、外国貿易や炭坑、軍港で各地から人が集まってきたところだけに、開放的で新しいもの好きな性格です。男女とも九州地方のなかでは保守性が弱く、格式にこだわらない傾向にあります。江戸時代、外国貿易の関税の一部が各戸に配られて裕福だったことから、おっとりしていて楽天的な気質になったようです。一方で、「外面はいいが内面はいまひとつ」といわれていたのは、古くから商人が出入りしたため、打算的な一面があるからです。しかし、おしなべて情熱的で祭り好き、南国的な明るさをもつ人が多いように見受けられます。 また、男女同権の個人主義で女性が強いのも特徴。長崎というとキリスト教のイメージが強い土地ですが、仏教も盛んです。そのため(?)か、犯罪が少ない地域でもあります。 沖縄は沖縄の出会い「門中(もんちゅう)」という血縁一族を取りまとめる制度のために地域の連帯意識が強く、人間関係は極めて親密です。結婚式は、村全体で祝うので、結婚披露宴の出席者数は全国一で、300人、400人はザラです。ただし、お金はそれほどかけません。また「模合(もあい)」という制度があり、これは「頼母子講(たのもしこう)」「無尽(むじん)」と同様のもので、毎回一定の金額を出し合い、集まった金を一人ずつ順番に受け取っていく相互扶助制度のことです。また、県人意識、郷土意識が強いため、Uターンを希望する人が多いのも特徴です。 沖縄の男性は、言葉を気にするために人見知りする傾向がありますが、合理的で見栄を張りませんし人会か沖縄県人会といわれるほどなのです。ただ、その勢いが最後まで続かないのが問題点。お金には、無頓着な方です。女性はたくましい頑張り屋です。

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■■中国、四国地方で見つける出会い

鳥取の人は鳥取の出会い地道にコツコツ努力するタイプですが、因幡(いなば)と伯耆(ほうき)では気質は大きく異なります。 因幡(鳥取市など県東部)は口下手ですが、真面目で粘り強い勤勉なタイプ。昔「雨の伯耆」といわれたほど雨の多い地域で、天候の挨拶がよく使われ、日本海側では、「弁当忘れても傘忘れるな」と声をかけたりします。また、因幡には、「煮えたら食わぁ」という言葉があります。もう煮えているのに、誰も食べようとせず、誰かが食べるのを待っている、消極的な気質をいったものです(静岡でも似た意味で、「煮えた食わず」という言葉があります)。長い間、米作中心だっただけに、保守的で引っ込み思案な人が多いようです。流行にもすぐ飛びつかず、生活は堅実です。 一方、伯耆(米子など県西部)は早くから鉄や木綿などの商品生産が行われていたため、商人気質で積極的なタイプが多いようです。自我は強いですが、とても庶民的。女性は、因幡でも伯耆でも、男性に比べて明るく活動的です。 岡山人の気質を一言でいうと、岡山の出会い|金銭感覚の鋭い真面目な理数系です。加えて勤勉で真面目で、流行にも振り回されないタイプが多いようです。 ため、理知的、理論的な性格が形成されたようです。岡山は気候が温暖で土地も肥えていて、経済的には豊かだったのですが、江戸時代は外様大名であったため、幕府に睨まれないように質素な暮らしをしてきた歴史があります。さらに大阪とのつながりが強かったために、鋭い金銭感覚が養われたのでしょう。現在でも、月賦より現金で買うし、財布のひもが固いため、「岡山で成功すれば、全国どこでも成功する」といわれるぐらいなのです。 ただし、北部の美作は人情があり、温和で誠実な人が多く見受けられます。 広島の人は、広島の出会い昔から派手好き、祭り好き、遊び好き。学園祭で最も盛り上がるのは、広島県人会か沖縄県人会といわれるほどで、とても熱狂的な性格です。ただ、熱しやすく冷めやすい一面もあるので、その勢いが最後まで続かないのが問題なところ。新しいものに敏感ではありますが、あきらめるのも早い方です。 さらに、「酒よし、魚よし、気候よし」の土地だけに郷土意識が強く、Uターン希望者が多いのが特徴。土地が豊かなので楽天的で人当たりが良い性格ですが、少々見栄っ張りで負けず嫌いな一面もあります。 また、かつては、ハワイやアメリカ本土、南米への移住をはじめ、出稼ぎに行く人が多い土地だっただけに、積極的な性格でもあるといえます。なんと、ハワイの日本語は、広島弁が基本といわれたほど! それだけ広島の人がたくさん移民しているようです。 ただし、備後(福山など県東部)は、粘り強く実利的なタイプが多く見受けられます。 島根は、島根の出会い出雲と石見で気質が大きく異なります。出雲の人は、真面目で勤勉で我慢強いが、引っ込み思案で消極的なところがあります。また、保守的で見栄っ張りですが、新しいものは苦手なようです。中古品が売れない土地で、リサイクルショップの数が全国で最も少ない地域です。「出雲モンロー主義」といわれるように、人見知りする傾向がありますが、一度うち解ければ強い信頼関係を築くことができます。女性は控えめで現代の大和撫子タイプ。結婚への意欲が高い女性が多いのも特徴です。 石見は、古くから出稼ぎが盛んな地域のうえ、行商や漁業で他の地域との交流が盛んだったため、積極的な気質です。明るく単純明快で歯切れがよく、性格もさっぱりしています。また、隠岐の人は、とっつきは悪いが、素朴で親切です。 山口は、山口の出会い|前身が明治維新で活躍した長州藩だから、郷土意識が強く、長州藩を誇りに思っている人もまだまだたくさんいます。仲間内の結束力が強いのは、毛利元就の「三矢の教え(一本の矢は容易に折れるが、三本の矢は折れない)」や「百万一心(一日一力一心という説も)」以来の伝統です。 米、塩、紙の「三白」で豊かだったこともあり、保守的な気質です。人見知りはしませんが、好き嫌いははっきりしています。議論好きで、総理大臣が8人も出た地域だけに、政治に関心が高い人が多く見受けられます。お金には細かくありませんが、体裁を気にして、負けず嫌いで、見栄っ張りな一面もあります。「薩摩の大提灯、長州の小提灯(薩長が江戸入りした時、薩摩は大きな提灯を先頭にして歩いたが、長州はそれぞれ小さな提灯を持って歩いた)」という言い回しのように、自己主張が強い傾向もあります。萩などは、素朴で堅実、かつ、社交的で明るい人が多いようです。 香川といえば讃岐うどん。香川の出会い|もちろん、うどんの生産量も消費量も日本一。香川でうどんを作るようになったのは、雨の少ない気候が原因といわれています。水不足に悩まされていたため、米に加えて裏作で小麦を作っていたのが、うどんになったといわれています。それに香川の人は手先が器用なので、おいしい讃岐うどんが生まれたともいわれています。 香川の県民性を表す言葉として「へらこい」「讃岐の猿真似」「讃岐の着倒れ」という言葉があります。「へらこい」は、ずる賢くて要領がいいという意味で、「讃岐の猿真似」は、器用でソツがなく、京都や大阪の流行をいち早く取り入れたという意味の言葉です。「讃岐の着倒れ」は、文字通り着物にお金をたくさん使うという意味ですが、比較的見栄っ張りな香川の人の気質を表した言葉でもあります。香川は昔から人の出入りが激しかったため、人当たりは良いですが、逆境に弱く、粘り強さに欠ける一面も……。観音寺など県西部は穏やかな人が多いようです。 阿波商人のはじまりは、徳島の出会い|徳島藩が塩田の開発や染料になる藍、葉たばこ、サトウキビの栽培を進め、それを京阪神地方に売りに行ったことからといわれています。阿波商人たちは大阪に出て商売をし、儲けた金を持って、徳島に帰ってきました。これが何代にもわたって続いたため、大阪商人的な気質が強いのが特徴です。金銭感覚が鋭く、行動力も実行力もあります。 思いがけない金が入ったら、徳島の人は「これを元手にして何倍かに増やそうとする」とかつてはいわれていましたが、現在は、「ムダな金を使わない」「目玉商品しか買わない」など、借金ギライのガッチリ型に変化してきているようです。また、「阿波美人」も有名ですが、これは昔、阿波商人が全国各地から美人を連れてきたというのが、ルーツになっています。南部の南方(みなみがた)は素朴で素直な人が多いようです。 愛媛の人は、愛媛の出会い|陽気で親切で素朴で、情に厚く正直です。土佐人ほどの情熱はなく、讃岐人ほどの話し上手ではありませんが、なかなかの好人物が多いといわれてきました。思いがけない金が入ったら、愛媛は「何か買ってしまう」といわれていましたが、これに関しては、地域によって異なるようです。東予(とうよ:新居浜、今治など県東部)は、「(思いがけない金が入ったら)商売につぎこんで倍にする」ようで、勤勉で粘り強い昔の徳島商人的体質です。中予(ちゅうよ:松山、伊予など県中部)は「(思いがけない金が入ったら)銀行に預けて利子で温泉に入ったり、俳句を楽しんだりする」という、香川風の文人肌です。南予(なんよ:宇和島、大洲、八幡浜など県南部)は「(思いがけない金が入ったら)大散財して、また儲ければいい」という陽気で豪気な高知風です。 ここでは、東、中、南予の3地域に分けました。 高知は、高知の出会い|昔から個性が強いところです。閉鎖的な地理的条件が影響して、昔の特徴を今でも残している県です。男性は「いごっそう」といわれ、これは、頑固で強情、かつ、権威に屈せず、妥協しないタイプという意味です。土佐の女性は昔から「はちきん」といわれています。「はちきん」とは、「お転婆」という意味です。このように、男女ともに、男っぽい性格なのが高知の特徴です。また、高知の人は酒が好きで、「花見て一杯、月見て一杯」と、酒をよく飲みます。「お茶を飲もう」が「酒を飲もう」を意味することも! 酒が飲めない男性は一人前に扱われないぐらいなのです。酒飲みが尊敬される土地柄で、男性が一升、女性が5合を飲み干す「どろめ祭り」は有名。

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■■近畿地方で出会いを見つける

滋賀の人は滋賀の出会い、勤勉で正直です。宗教心も厚く、積極的で粘り強く、数字に強いから計画性もあります。貯蓄志向は高いですが、必要な時の出費は惜しみません。かつて近江商人は、近江で作られた蚊帳、麻布、畳表やちりめん、薬などを担いで全国各地を行商し、成功を収め、江戸時代には、大阪や京都に大きな店舗を構えました。「たとえ、千両貯めても天秤棒を捨てない」とまでいわれていたほど、仕事熱心です。 また、「琵琶湖の鮎は外へ出て大きくなる」という言葉があり、一昔前は、全国の鮎の大半が琵琶湖で生まれたもので、琵琶湖では成長しても10cmたらずですが、他の川に放流すると25~26cm(琵琶湖と他の川の、流速と餌の違いだといわれている)に成長するため、このようにいわれています。近江商人に関しても鮎と同様に、滋賀県から外へ出て行った人のほうが成功しているようです。 奈良は、奈良の出会いかつては「奈良の寝倒れ」という言葉で表現されることがありました。これは、太陽が出たら起きて仕事をはじめ、太陽が沈むと寝るという農業中心の地域だったことをさしていますが、今日でも夜の早い地域です。ロードサイドを除くと、喫茶店は遅くても夜11時まで、飲み屋も少ないようです。 土地が豊かで、温暖で天災も少なかったから、奈良の人は、のんびりした気質になったようです。昔「奈良の人は、二つ勘定してから返事をする」といわれたことがありますが、今でもスローペースな人が多く、やや自己満足しやすいところがあります。しかし、大阪の船場では「(家風を継いでくれるから)養子は大和から」といわれたほど順応性は充分。保守的で生活は堅実です。 また、奈良は大阪のベッドタウンとして発展したため、他県出身者が約半数。育ったのは奈良でも両親ともに奈良出身ではない人を「新奈良県人」と呼ぶこともあります。新奈良県人の気質はひと言でいうと「ミニ大阪人」ですが、大阪人ほど強い癖はなく、逆に協調性があります。 和歌山は、和歌山の出会い|日照時間が長いこともあって、のんびりお人好しな性格の人が多く、さらに、男女とも情熱的な性格です。また、かつて紀州藩が倹約を勧めたこともあって、今もなお、勤倹貯蓄志向が強いところで、所得当たりの預貯金額は、日本一。当然、金銭感覚も鋭く、スーパーなどで目玉商品だけを狙って買う人も少なくありません。もちろん、衝動買いはしません。ただし、見栄っ張りだから冠婚葬祭は派手ですし、お中元やお歳暮にはお金をかけます。特に紀北(和歌山、紀の川、橋本など県中北部)は京阪の影響から、商売上手で、小型上方商人といわれていました。紀南(田辺、新宮など県南部)は義理人情に厚いタイプです。和歌山県は、紀北、紀中、紀南もしくは、紀北、紀南に分けますが、ここでは、紀北と紀南に分けました。 大阪の人は、大阪の出会いとにかく金銭感覚が鋭い人が多いようです。問屋の街の歴史から、価格意識が強く、いかに安く買ったかが自慢になるほど。お中元、お歳暮に関しても、砂糖など重くてかさばるものが人気です。だから、砂糖を買ったことがないという家庭も少なくありません。半面、物惜しみしないし、あきらめのよい性格でもあります。 大阪といえば 「食い倒れの街」で、特に牛肉、フグなどをよく食べます。また、エネルギッシュでせっかちで行動力があります。「いらち」で、いつも何かやっていないと気が済まない人が多いようですが、「京都は過去に生き、東京は現代に生き、神戸は未来に生きる。そして、大阪は今日の夕方まで生きる」という言葉があるように、目先重視の発想が強く長期展望に欠けるきらいも……。 「京都十代、東京三代、大阪一代(大阪人になるのは一代でなれる)」といわれるように、開放的なところで気さくだから、初対面を気にする人は少ないようです。また、大阪から新しいビジネスが数多く生まれているように、新しいものにも敏感です。 細かく分けると、市内はキタ・ミナミ、市外は北、東、南大阪に分かれ、それぞれ気質は微妙に違いますが、特に大阪万博をきっかけに、他県人が転入してきた北大阪は大阪のなかでも最も大阪らしくない地域なので、ここでは二つにまとめました。 兵庫の人に「兵庫兵庫の出会い出身地はどこ?」と聞いた場合、「兵庫県です」と答える人は少なく、「神戸」「姫路」などと地域名で答えます(神奈川県人も同様)。これは、地域ごとの意識が強いことと、地域により気質が異なるためです。兵庫は瀬戸内側と日本海側、さらに昔別れていた国ごとに気質が異なります。 摂津(神戸〈垂水、西区以外〉、西宮、宝塚、尼崎など県東部)は積極的で理知的な人が多く、特に神戸は好奇心旺盛で新しいもの好きです。ただし、プライドが高く頑固なところがあります。播磨(姫路、明石、加古川など県西部)は気候も温暖、土地も豊かだったため、おおらかでのんびりしている人が多いですが、見栄っ張りな傾向があります。進取の気運があり、軽快で明るいタイプが多いようです。淡路は開放的でのんびりしていて、但馬(豊岡など県北部)は平野部が少なく気候も厳しいため、素朴で勤勉。丹波(丹波市など県中北部)は地味ですが、勤勉でおおらかな性格です。 ここでは、県東部(摂津)、県西部(播磨、丹波)、県北部(但馬)に分けました。

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■■中部地方で出会い見つける

岐阜は岐阜の出会い日本のほぼ中心に位置する地域で、京都に近いことから「美濃を制する者は天下を制す」といわれ、過去、多くの戦いの場になったところです。地元の農民から見れば、手塩にかけて育てた稲を他国の軍隊が踏みつぶして行くわけだから、たまったものではありません。そのためか、なかなか人を信用しない部分があります。 岐阜県人の性格的な特徴としては、やや気まぐれなところがありますが、何事にも堅実で、他人に振り回されることは少なく、流行にも安易に流されないようです。また、無駄遣いも少ないようです。河川の氾濫による水との戦いの歴史から、粘り強い性格の人が多いのも特徴でしょう。 岐阜県は、県南部の美濃と、県北部の飛騨は、昔の国も気候も違うため気質も異なります 愛知の人は、愛知の出会いとても堅実で実利的な性格です。これは、尾張藩が勤倹貯蓄を奨励したことと、明治時代、新政府から冷遇された歴史があるためです。「一安二量三味(いちやす、にかさ、さんにあじ)」といわれるほど、価格に対する意識の強い人が多いところ。また愛知は「回数券市場」ともいわれ、スポーツクラブやエステはもとより、喫茶店や遊園地、カプセルホテル、治療院に至るまで各種の回数券が存在しています。半面、保守的で、格式や家の体面にこだわるため、冠婚葬祭は派手に行います。嫁入り道具の凄さは昔ほどではありませんが、「名古屋から嫁をもらえ」「名古屋には嫁にやるな」という言葉がありますし、「家を持たない男は一人前ではない」ともいわれます。新しいものに対する関心はいま一つなのですが、車社会のためか、意外とカーナビの保有率は高いようです。 尾張(県西部)と三河(県東部)では気質が異なるので、ここでは二つに分けました。」 昔、石川の人は、石川の出会い「いざとなったら、どうしてよいかわからなくなる」と表現されていました。これは加賀百万石を守るため、控えめで事を荒立てなかった歴史が生んだものといえ、当時は消極的で、おっとりした性格の人が多かったようです。現在でも、慎重で大人しい人が多いのですが、北陸の他県同様、忍耐強い性格です。自己主張をせず、やや行動力や決断力に欠ける部分もあります。保守的なため、冠婚葬祭は派手。 石川県の中でも、金沢には「財産三分法(金が貯まったら、骨董品、不動産、商売に分散する)」とか、「財産を作ると趣味に生きる」という言葉があり、精神的にも豊かで、生活の満足度は高く、コセコセすることもありません。 福井の人は、福井の出会い日本海側の雪国ゆえに辛抱強い性格です。越前商人の伝統は今でも続いており、福井県は有数の社長輩出県なのです。社長輩出率が高いのは、繊維産業で相場感覚を身につけたこと、大阪に近いため、大阪の良いところも悪いところも吸収してきたことにあります。福井が大阪と違う点は、真面目で粘り強い性格である点、勤勉で堅実、行動力がある点です。 お金には細かいのですが、保守的なところがあって結婚式にはどんとお金をかけます。さらに、新しいもの好きで流行もいち早く取り入れます。衣類乾燥機の1世帯当たりの保有率が日本一なのも、新しいもの好きの傾向からうなずけます。 男性は向こう気が強い性格ですが、カラッとしています。また、昔から福井は女性が強い地域でもあり、これは「越前女は働き者」という、内助の功的な強さを指しているという

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■■甲信越、北陸地方で出会いを探してみる

山梨といえば「甲州商人」が有名ですが、山梨の出会い|山梨は山が多く平地が少ないために、田畑は長男が継ぎ、次男、三男が外へ出て行っていたのです。甲州商人は、かつて、全国を股にかけて成功を収め、当時は成功を妬まれて、「メチャカモン(金に細かいうえ、負けず嫌いで執念深い)」といわれたりもしていました。 山梨の人の性格は、勤勉で行動力旺盛、独立心が強い頑張り屋で、お金には細かく、保守的です。見栄っ張りな面もあり、隣近所と張り合うため冠婚葬祭や七五三も派手に行うことも……。また、「鶏口となるも牛後となるなかれ」で、やや一匹オオカミ的なところがありますが、真面目な努力家である上、アイデアマンで、義理人情に厚い人です。気分転換が上手なのも特徴です。流行には敏感で、自分が流行遅れになっていないかどうかを気にしてしまう傾向があります。 長野の人は、長野の出会い勤勉で誠実で辛抱強い性格です。考え方も生活も堅実で、お金には細かいですが、教育熱心で研究心も旺盛。さらに、日本有数の長寿県なのは、暴飲暴食などせず、規則正しい生活を送っているからでもあります。 男性は、理屈っぽく議論好きで頑固なところがあるため、やや社交性に欠けるのが玉にキズ。とにかく真面目で正直で曲がったことが嫌いなので、冗談が通じないことも……。この傾向は北部へ行くほど顕著になり、逆に南部に行くとおおらかで情緒的になる傾向があります。女性はおしなべて正直で誠実な性格。大人しそうに見えても実はタフです。それでもストレスを溜めない性格だから長生きするのでしょう。 長野は盆地ごとに気質が異なりますが、ここでは北信(東北信)と南信(中南信)にまとめました 新潟の人は、新潟の出会い勤勉でコツコツ努力するタイプが多いようです。昔は雪が深く半年近くは仕事ができなかったため、北海道などの国内だけではなく、遠くハワイ、カナダにも出稼ぎに行っていたようです。なかでも「頼まれれば江戸までもちつきに」といわれたように、江戸(東京)に転出した人が多く、東京の他県出身者でも上位の県です。 新潟県は、農業県だけに、保守的で流行にも疎く慎重ですが、意外に見栄っ張りな部分も……。また、律儀でお人好しな性格でもあります。お酒好きの人が多いのも特徴です。 昔、新潟には「男の子と杉は育たない」という言葉がありましたが、今日では優柔不断なタイプは少なく、逆に男っぽい男性が増えています。女性は、「女房にするなら新潟女」といわれたほど、働き者で夫につくすといわれています。

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■■関東地方で出会いを探してみる

茨城は、茨城の出会い温暖な気候と豊かな土地のため、保守的で親や年長者の力が強く、家柄や格式を重視するので、別名「こいのぼり市場」ともいわれています(茨城は女の子より男の子の節句にお金をかけるため)。また、冠婚葬祭も派手です。 水戸は、昔は「三ぽい」といわれたところ。「三ぽい」とは、「怒りっぽい、理屈っぽい、骨っぽい」のことで、頑固で激情型の水戸武士のイメージにつながりますが、実際の水戸の人は、義理人情タイプが多く、言葉が乱暴で一見とっつきにくく見えますが、実は人がよく、お金にも細かくありません。ただし、熱しやすく冷めやすい一面もあります。 県南部、西部はのんびりしたおおらかな人が多いですが、河川の氾濫の歴史があるため辛抱強い性格でもあります。また、東京で生まれ茨城で育った人や、両親が東京から引っ越してきて茨城で生まれた「新茨城県人」は、淡泊ですが何事にもソツのない性格のようです。 栃木は、栃木の出会いかつて小藩分立で、領主の入れ替わりが激しかったため、他の地域に比べはっきりとした特徴はありませんが、「攻めの群馬、守りの栃木、どっちつかずの茨城」といわれるように、保守的で変化を好まず、土地に対する執着心が強いのが特徴といえるでしょう。 栃木の男性は、一言で言うと「いぶし銀」タイプ。恥ずかしがり屋なので、最初の印象はイマイチですが、つきあっていくと味わいが出る人。真面目で内向的でお人好しといった、いわゆる「東北的」な人が多いようです。さらに細かくみていくと、県北部は、より東北的で、県南部は新しいもの好き。南にいくほどに、洒落や冗談が好きなざっくばらんな人が多くなる傾向があります。ただ、足利の人は、頑固でプライドの高い人も少なくないようです。一方、栃木の女性は控えめに見えても、男性に比べバイタリティのあるたくましい人が多いようです。 群馬を群馬の出会い表現する言葉は昔からあり、かつては「上州名物、カカア天下に空っ風」といわれ、その後「群馬の3K」といわれるようになりました。3Kとは、「空っ風、雷、カカア天下」のこと。また、「上州ダンプと空っ風」という言葉もあります。これだけ色々な表現でいわれている地域は大変珍しく、それだけ群馬は個性的な地域なのです。 群馬は雷や空っ風など、自然環境が厳しく、平野部が少ないために養蚕が発達しました。この養蚕を支えてきたのが女性なのです。「カカア天下」とは気が強いというより、「うちのカカアは天下一働く」という言葉から派生したという説もありますが、やはり今日でも群馬の女性は気が強いようです。 また、群馬の人は、日照時間が長いこともあってか、陽気な性格の人が多いのですが、熱しやすく冷めやすい一面もあります。お金に執着がなく、ムードにのりやすいタイプが多いために「セールスしやすい地域」といわれたり、新しいもの好きなので、「新型車は群馬で売れ」ともいわれたりしています。そして実際、人口当たりの車の保有台数が、全国上位県なのです。 富山は、富山の出会い「富山の薬売り」に代表されるように、積極的で行動力のある人が多いのが特徴です。この勤勉さは浄土真宗の影響ともいわれています。また、雪に加えて河川の氾濫が多かったため、極めて粘り強い性格になったようです。しかし、意外とクールな一面もあり「損するのがわかっているから」ギャンブルなどする人も少ないですし、無駄遣いもしません。富山県人にとって家は、ステータスシンボルなので、結婚しても共稼ぎをして立派な家を建てるのが目標です。持ち家比率NO.1の県でもあります。 男性はコツコツ努力する長距離ランナー型ですが、冠婚葬祭にお金をかける見栄っ張りな一面があります。ただし、呉羽山を境に性格は異なります。大ざっぱにいうと呉東(ごとう)は関東風、呉西(ごせい)は関西風。女性は、お隣りの石川県では「富山から嫁をもらえ」といわれたほど働き者です。 現在の千葉県にあたる地域は、千葉の出会い江戸時代初めの頃は9藩、のち16藩ありましたが、そのほとんどが小藩で、他に旗本領、幕府直轄地と細かく分割されていました。そのため、この地域独自の文化が根付きにくい状況にありました。気候が温暖で土地は豊かだったため、江戸時代の千葉の男性は、物事にこだわらない、人がいい楽天家が多かったようです。女性は、とにかく働き者で、「担ぎ屋のおばさん(野菜や果物、もちや漬け物などを背負って、東京に売りにきていた農家の女性)」は特に有名です。 さらに細かく地域性を言及すれば、県北は江戸との交流が盛んだったためしっかり者が多く、県央は東海道の諸藩が懲罰のため転封(てんぽう)されてきただけに、弱気で保守的。県南は阿波から移住してきた歴史があるので、女性が強く保守的だったようです。 近代になり、県北部は東京のベッドタウンとして、他県から人々が転入し急成長を遂げました。現在の千葉県人口の約半数が他県出身者で、多いのは東京、埼玉、北海道、茨城など。北海道出身の人が多いのは、漁業が関係しているようです。 埼玉は、埼玉の出会い|かつて江戸時代には2000名を超える領主によって治められてきたため、この地域独自の文化が根付きにくい状況にあり、当時は、温和でのんびり、あっさりしていておっとりした人が多い地域だったようです。しかし近代になり、東京のベッドタウンとして他県から人々が転入し、急成長を遂げます。このような背景のためか、埼玉県の県民意識は、それほど強くないといえます。 性格的な面では、情熱的ではありませんし粘り強さには欠けますが、実直で寛大。また、楽天的でのんびりしている人が多く、柔軟性があり流行にも敏感です。ただし、秩父は寒さが厳しいこともあって、粘り強い根性のある人が多いようです。 現在の東京都の人口の約半数は他県出身者。その中でも多いのが、新潟、神奈川、静岡、千葉、北海道の人たちです。東京の出会い| 東京は、大きく「山の手」「下町」「多摩」に分けられます。もともとの江戸っ子は思いこみが激しく、義理堅いのが特徴で、下町にはこの江戸っ子気質が今でも残っています(「男はつらいよ」のフーテンの寅さんは地方出身者の設定だそうですが……)。 山の手の人は一般によそよそしいイメージですが、これは明治維新の時に、倒幕側の薩長土肥の人々が東京に入ってきて、となり近所とつきあわなかったことから定着したイメージであると推測されます。山の手の人たちは、元々は地方出身の人たちが大半なのですが、プライドが高く、マナーは良いです。 多摩の人の大半は都内から入ってきた地方出身者で、男性は格好つける傾向にあり、女性は比較的気が強い性格の人が多いようです。 神奈川県は、神奈川の出会い|人口の約半分が他県出身者です。その中でも東京、新潟、静岡の人が多く、性格としては、自己主張は強いですが、淡泊で気さくな性格です。 また、神奈川県人に「出身地はどこ?」と聞いた場合、「神奈川です」と答える人は少なく、「横浜」「鎌倉」などと地域名で答える人が多いといわれています(兵庫県人も同様)。これは、地域ごとの意識が強いことと、地域により気質が異なるためで、特に横浜は、横浜に来たばかりの人でもすぐに横浜人になれますし、プライドが高い「浜っ子気質」で東京対抗意識が強いところでもあります。県西部の相模(相模川以西)は柔軟な人が多いですが、鎌倉は昔から東京直結地域であるために東京志向が強いところです。 昔から「『神奈川県人とは』と一言で語れない」といわれたほど地域別の違いがあるところですが、東京のベッドタウンとして他県出身者が大勢入ってきたこともあるので、ここでは、横浜旧市街地と他の地域にまとめました。

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■■北海道、東北で出会いを探してみる

北海道の出会い|北海道の人は、土地が広いこともあって、おしなべておおらかで大ざっぱな性格のようです。また、他の地域のような保守性(見栄を張ったり、家柄や格式などにこだわる)がありませんので、何事にも合理的です。札幌あたりでは冠婚葬祭も比較的簡素でお金をかけません。結婚披露宴はほぼ会費制ですし、葬儀も午前中に行うことが多いようです。また、ゴルフも休憩なしで回って午後から仕事をします。リサイクルショップの店数が人口あたり日本一多いのも、北海道の合理的な気質からうなずける話なのです。 北海道の男性には、フロンティア・スピリッツ(開拓精神)のイメージがありますが、実際は大人しいというか、ほわあっとした感じの人が多く、逆に女性は行動力のある男っぽい人が多いようです。これは開拓時代から男性と対等に働いてきた歴史があるためのようです。 しい地域であるだけに、真面目で辛抱強い性格で、さらに口数の少ない人が多いようです。ただ、港町で東京などへ出稼ぎが多かった歴史から、意外に新しいもの好きな傾向があります。また、人間関係もわりとドライな一面があり、照れ屋で口下手のために悩みを内にため込んでしまう傾向にあります。 男性は、穏和で誠実な努力家ですが「じょっぱり(強情で意地っ張り)」。人はいいですが、やや頑固なところがあります。女性は母親から受け継いだ、けなげな性格の人が多いようです。これは、子供の頃から母の頑張りを見て育ったために自然と備わったキャラクターでしょう。 青森県西部は津軽藩、勤王派、日本海側気候、米とリンゴの農業、西回り海運で上方とのつながりがあった地域。青森県東部は南部藩、佐幕派、太平洋側気候、漁業と工業、東回り海運で江戸とのつながりがあった地域で、方言も気質も異なります。 岩手の人は、岩手の出会い|夏は短く冬が長く、冷害や津波など厳しい自然条件にもまれ、粘り強くてたくましく、辛抱強くてどんな苦境でも耐え忍ぶ気質の人が多いようです。また、豪雪地帯も多く、昔から家の中で読書にふけったり、絵を描いたりする人が多いところです。そうした背景から、宮沢賢治や石川啄木のような作家や歌人、またたくさんの芸術家を輩出しています。 岩手というと、慌ただしい「わんこそば」のイメージがありますが、実際は、何事にも慎重で動作もゆっくりとした人が多いのが特徴です。真面目で几帳面なため、考えすぎる傾向があり、少々決断力に欠けることもあります。普段は寡黙なのですが、酔って心のたががゆるむと、突如ひょうきんになったりする人もいるようです。 南部藩だった内陸北部と伊達藩だった内陸南部、それに海沿いの沿岸部では気質が異なります。 昔「秋田の着倒れ、食い倒れ」という言葉がありました。秋田の出会いこれは秋田の人は「贅沢」、つまり消費性向が高いということを表す言葉ですが、「着倒れ」といえば京都、「食い倒れ」といえば大阪ですから、いかに秋田が関西とのつながりが強かったかを表しています。事実、米や秋田杉などを西回り海運で上方に売ってきた歴史があります。 秋田の人は、東北のなかでも初対面を気にする人が少なく開放的な性格です。遊び好きで好奇心が強く流行に敏感で、東北でミニスカートが最初に流行ったのは秋田という説があるぐらい! 現在でも、1世帯当りのBS(衛星放送)受信装置保有数が国内上位で、新しいもの好きの傾向がわかる結果となっています。また、保守的な土地柄でもあるため、冠婚葬祭は派手なほうです。 秋田の男性は、お米に恵まれてきたため、のんきでマイホーム型のロマンティストが多く見受けられます。また、お酒好きも多く、貯蓄は苦手のようです。秋田の女性は「秋田美人」「角館美人」という言葉がある通り、色白の美人が多いことでも有名ですが、実際に、脚の長いスレンダータイプが多いようです。男性も背の高いイメケンを多く輩出しています。 東北の人というと、宮城の出会い|厳しい気候に耐えてきた「粘り強い性格の人」というイメージが一般的にありますが、宮城の人はちょっと違います。宮城は気候も東北のなかでは比較的温暖で、仙台平野はササニシキで有名な東北きっての米どころ。加えて、世界三大漁場といわれる金華山沖の漁場もあります。このような地域のためか、農民一揆が頻発していた時代、宮城県での農民一揆の件数は他県と比べて、少なかったようです。つまり、気候は温暖で土地が豊かだったため、のんびりした人が多いのです(仙台市は他の地域に比べのんびり度は低めですが)。大都市仙台をかかえているわりに、保守的で消極的な人が多いのは、恵まれた土地柄のためといえるでしょう。 いかにも東北人らしいのが山形の人。山形の出会い|山形県は、北は鳥海山、東は奥羽山脈、南に朝日、飯豊山地に囲まれており、内陸の盆地で、豪雪や夏の冷害にたびたび襲われてきました。厳しい自然環境のためか、内向的で口数が少なく、初めての人に会うのも気が重いタイプで、ひたむきな人が多いのが特徴です。しかし、庄内地方と呼ばれる日本海側に関しては、積雪量が少なく、庄内平野は昔からの有数の米作地帯であるためか、社交的で人づきあいにもソツがありません。さらに山形は、江戸時代には「米沢・鶴岡(庄内)・新庄・山形」などの小藩分立でした。同じ庄内でも酒田は港町、鶴岡は城下町として栄えたところで、気質も、港町の酒田、城下町の影響が残る米沢・鶴岡と、それ以外の地域により異なります。 現在の福島県にあたる地域は、福島の出会い明治の廃藩置県で、最初8県がありましたが、その後、二本松藩などがあった県中部が「旧福島県(中通り)」、会津藩領が「若松県(会津)」、相馬藩などがあった沿岸部が「平県(浜通り)」になります。この3県が今の福島県になるのですが、面積が広く山脈で分断され、気候も産業も異なるため、今でも中通り、会津、浜通りの3つの地域に分けられます。  中通りは昔から奥州のメインルート沿いにあたり、人の行き来が盛んだったため柔軟な考え方の人が多く、会津は冬の積雪が多く夏は高温の盆地気候で、特に会津藩の影響が残っていて保守的です。浜通りは、夏は涼しく冬は比較的暖かく、港町が多いため、開放的でさっぱり気質の人が多いところです。

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